2008年 09月 24日
修道院での思い出 ①
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1986年9月~1987年7月の間、フランス北部のCambrai(カンブレ)という町の
Lycée Saint-Bernardという高校に留学しました。
*これからご紹介します写真には日付が入っていますが、説明の為に
順番はバラバラですので、ご了承くださいませ。
当時通っていたカトリック高校(日本)は修道院が併設されており、その修道院の本部が
フランスにあったのです。・・・というわけで、当時 姉妹校がフランスに2校、イギリスに1校、
ザイールに1校ありました。
私達の高校ではイギリス留学とフランス留学の制度があり、フランスへは毎年2名ずつ
行くことができました。
実はこの高校、ちょっと珍しくて2年生から選択科目の中にフランス語がありました。
小学生の頃から習いたかった言語であっただけに、私には迷いはありませんでした。
そして その流れでフランス留学も夢をみて、幸運にも実現したわけです。
はじめて親元から離れて、友人と二人きりで渡仏。
高校のフランス語の先生(シスター)の義理のお兄様・Monsieur Verdet(ヴェルデ氏)が
大きな看板を持って、空港まで私達を迎えに来て下さいました。
ずっとドキドキしっぱなしだったので、Monsieurのお姿が目に飛び込んだ時
どんなに嬉しかったことか!
Monsieurは、私達をAéroport d'Orly(オルリー空港)からGare du Nord(北駅)まで
ほとんど無言で(!笑)連れて行って下さったのです。
教科書上でしかフランス語を知らない私達二人に何を話しかけても通じなくて、
どんなにご迷惑をおかけしたかと思うと。。。Monsieurも頼りなげな私達を見て、
さぞかし不安に思われたでしょうね~~。(笑)
フランス語が話せるようになってから Monsieurとは再会を果たしたのですが、
この時のことは笑い話となり、いい思い出になりました。
Monsieur & Madame Verdetには随分お世話になり、私の大好きな方々。
また後日、お話したいと思います。
Cambraiの駅に到着したのは、夕方4時ぐらいだったかしら・・・。
まだ明るかったのですが、夕方を思わせる気持ちのいい風が吹いていました。
ホームまで出迎えて下さったのは、
ベトナム人シスターのSœur Anna-Maria(スアンナマリア)。
小柄で、Cambraiの修道会の中では一番お若く、イギリス英語とフランス語を
流暢に操るバイタリティー溢れる方。私達のお世話係で随分お世話になった方です。
*簡単メモ*
♪ Sœur(スール)というのは、Sister・シスター・修道女を意味します。
修道女の名前の前にはSœurを付けます。
♪ 挨拶などをする時は、"Bonjour, ma sœur." "Merci, ma sœur."などと
【ma sœur(私のシスター)】というのを付けます。
・神父様には、"Bonjour, mon père." "Merci, mon père."
・修道士(男性)には、、"Bonjour, mon frère." "Merci, mon frère."
♪ フランス語では、oとeが一緒になる単語はこの二つをくっつけます。
ex: soeur → sœur
♪ Monsieurは、『ムッシュ』では通じない。『ムッスュ』って感じの発音。
Sœur Anna-Mariaの運転する車で 修道院まで連れて行って下さいました。
レンガ造りの立派な建物。道路沿いに大きなレンガ塀で囲まれています。
重厚な門をくぐって敷地内に入りました。
最初に連れて行かれたのは確か地下にあった食堂だったかと思います。
外から直接地下へ行ける階段を降りていきます。
地下と言っても大きな窓があり、外から優しい光が差し込んでくるようになっていました。
レンガの壁、周りにお花がいっぱい咲いていて本当に夢の世界に迷い込んで
しまったような不思議な感覚・・・
疲れも手伝って足が地に付いていなかったのを思い出します。
カフェオレでひと息つきながら、英語で簡単にこれから始まるフランスでの生活の
説明を受けました。この時のカフェオレの美味しさときたら!忘れられません。。。
そして、「まずはゆっくりと休みなさい。」と3階の私達の部屋へ。
12畳ぐらいの部屋だったかしら・・・中央にナイトテーブルを挟んでベッドが2つ
ドーンと目に入ってきます。
タンスは、いかにもフランスらしい作りで新鮮。
勉強机は、懐かしさを感じさせる木製の小さなもので、上がパカッと開き、
中に物が入れられるようになっています。
これらの家具は2つずつあり、シンメトリーに配置されています。
2つの勉強机の間には扉付き本棚。中には代々先輩方が置いていって下さった
日本語の本や雑誌がぎっしり詰まっていました。
そして先輩からの手紙・・・・。
『楽しい事、辛い事、色々待ち受けているかと思いますが、いい経験になることを
確信している。これから1年間頑張って下さい。』などといった内容のもの。
他にも細かなアドバイスを含んだ この激励のメッセージに感激したのも思い出されます。
今 振り返ってみますと、甘えられる親などが近くにおらず、あらゆる面で未熟な自分が
短い期間に本当に多くの事を学ばせていただいた貴重な経験でした。
人を傷つけ、自分も傷つき・・・色々な事があったなぁ~~~。
周りはフランス語だけの世界。(これは語学を学ぶという面では大変恵まれています。)
よって相談するにも言葉の壁で容易ではないことは想像つくと思います。
こうして先輩方も後輩方も乗り越えて来られたんだな・・・と思うと感慨深くなると同時に、
その中の一人であることを感謝の気持ちでいっぱいになります。
・・・話を戻します。
色々な思い出話を綴り出すと長くなってしまいます。。。
今日は修道院の建物や様子などを中心としたお話にしたいと思います。
私がお世話になったのは、Lycée Saint-Bernard(高校)であり、
Monastère Saint-Bernard(聖ベルナルド会の修道院)なのです。
つまり実際にシスター方が生活されていらっしゃる修道院に併設して
学校があるタイプの修道会で、ここでは高校と幼稚園
そしてdomitoire(ドミトワール・学生宿舎)がありました。
*現在は、修道女の高齢化により残念ながら閉鎖されてしまいました。(ノ_-。)
中庭から見たLycée Saint-Bernard(高校)です。右側に垂直につながっているところが
修道院。ちなみに一番目の写真は、Lycéeを正面から見た様子。
そしてこちらは↓domitoire(学生宿舎)。
↓domitoire(学生宿舎)を中庭から見た様子。幼稚園児が遊んでいます。
2番目の写真にあります建物の反対側↓
茶色矢印(ちょっと線が細かったかな?)がしてある窓が私達・日本人留学生の部屋でした。
ドア一枚で学校へ行けてしまうという感じです。幸せ・・・♡
そしてこちら↓が、その部屋。窓辺に机があります。う”っ 散らかっているぅ~( ̄_ ̄ i)
気持ちの良いそよ風が吹き込んできて、随分癒されました。
上の窓から外を見ると、↓このような景色が見えます。Cambraiの町並み(住宅街)です。
茶色矢印(3つ上の写真)の窓から外を見た景色がこちら↓。幼稚園が見えます。
こちら↓2枚目の写真で修道院部分を紹介しましたが、その延長。
右側に見えるのが洗濯室。学校~修道院~洗濯室と『コの字』の建物になっています。
ちょっとシスター方の姿が見えますね。作業される時はこのように白いエプロンをお召しになります。
なんだか爽やかでしょ?
こちら↓が、初めて学んだフランス語の教科書。
高校(日本)のフランス語授業から使っており、引き続きフランスでも使っていました。
Mauger(モジェ)氏著のフランス語の教科書で、青と赤の2種類ありました。
なので、通称 Mauger Bleu(モジェ ブル)とMauger Rouge(モジェ ルージュ)と
呼んでいました。 懐かしい記念すべき教科書・・・今でも大切に保管してあります。
こちら↓がCambraiの地図。
Cambraiは、【Bêtises de Cambrai(ベティーズ・ドゥ・カンブレ)】が有名です。
ミント味のbonbon(ボンボン・飴)。bêtiseのいうのは『失敗』を意味するのですが、
昔 お菓子作りをしていて失敗作品がこの飴だったそうです。
失敗からの産物なのですが、今や フランス人の間では大変有名な飴の一つです。
母親のように接して下さった大好きなシスターの皆さま。
ぜひご紹介したいと思います。
エピソードは数え切れないほどあるのですが、長くなってしまうので・・・今日はこれで。
また今度(*^o^*)/
Lycée Saint-Bernardという高校に留学しました。
*これからご紹介します写真には日付が入っていますが、説明の為に
順番はバラバラですので、ご了承くださいませ。
当時通っていたカトリック高校(日本)は修道院が併設されており、その修道院の本部が
フランスにあったのです。・・・というわけで、当時 姉妹校がフランスに2校、イギリスに1校、
ザイールに1校ありました。
私達の高校ではイギリス留学とフランス留学の制度があり、フランスへは毎年2名ずつ
行くことができました。
実はこの高校、ちょっと珍しくて2年生から選択科目の中にフランス語がありました。
小学生の頃から習いたかった言語であっただけに、私には迷いはありませんでした。
そして その流れでフランス留学も夢をみて、幸運にも実現したわけです。
はじめて親元から離れて、友人と二人きりで渡仏。
高校のフランス語の先生(シスター)の義理のお兄様・Monsieur Verdet(ヴェルデ氏)が
大きな看板を持って、空港まで私達を迎えに来て下さいました。
ずっとドキドキしっぱなしだったので、Monsieurのお姿が目に飛び込んだ時
どんなに嬉しかったことか!
Monsieurは、私達をAéroport d'Orly(オルリー空港)からGare du Nord(北駅)まで
ほとんど無言で(!笑)連れて行って下さったのです。
教科書上でしかフランス語を知らない私達二人に何を話しかけても通じなくて、
どんなにご迷惑をおかけしたかと思うと。。。Monsieurも頼りなげな私達を見て、
さぞかし不安に思われたでしょうね~~。(笑)
フランス語が話せるようになってから Monsieurとは再会を果たしたのですが、
この時のことは笑い話となり、いい思い出になりました。
Monsieur & Madame Verdetには随分お世話になり、私の大好きな方々。
また後日、お話したいと思います。
Cambraiの駅に到着したのは、夕方4時ぐらいだったかしら・・・。
まだ明るかったのですが、夕方を思わせる気持ちのいい風が吹いていました。
ホームまで出迎えて下さったのは、
ベトナム人シスターのSœur Anna-Maria(スアンナマリア)。
小柄で、Cambraiの修道会の中では一番お若く、イギリス英語とフランス語を
流暢に操るバイタリティー溢れる方。私達のお世話係で随分お世話になった方です。
*簡単メモ*
♪ Sœur(スール)というのは、Sister・シスター・修道女を意味します。
修道女の名前の前にはSœurを付けます。
♪ 挨拶などをする時は、"Bonjour, ma sœur." "Merci, ma sœur."などと
【ma sœur(私のシスター)】というのを付けます。
・神父様には、"Bonjour, mon père." "Merci, mon père."
・修道士(男性)には、、"Bonjour, mon frère." "Merci, mon frère."
♪ フランス語では、oとeが一緒になる単語はこの二つをくっつけます。
ex: soeur → sœur
♪ Monsieurは、『ムッシュ』では通じない。『ムッスュ』って感じの発音。
Sœur Anna-Mariaの運転する車で 修道院まで連れて行って下さいました。
レンガ造りの立派な建物。道路沿いに大きなレンガ塀で囲まれています。
重厚な門をくぐって敷地内に入りました。
最初に連れて行かれたのは確か地下にあった食堂だったかと思います。
外から直接地下へ行ける階段を降りていきます。
地下と言っても大きな窓があり、外から優しい光が差し込んでくるようになっていました。
レンガの壁、周りにお花がいっぱい咲いていて本当に夢の世界に迷い込んで
しまったような不思議な感覚・・・
疲れも手伝って足が地に付いていなかったのを思い出します。
カフェオレでひと息つきながら、英語で簡単にこれから始まるフランスでの生活の
説明を受けました。この時のカフェオレの美味しさときたら!忘れられません。。。
そして、「まずはゆっくりと休みなさい。」と3階の私達の部屋へ。
12畳ぐらいの部屋だったかしら・・・中央にナイトテーブルを挟んでベッドが2つ
ドーンと目に入ってきます。
タンスは、いかにもフランスらしい作りで新鮮。
勉強机は、懐かしさを感じさせる木製の小さなもので、上がパカッと開き、
中に物が入れられるようになっています。
これらの家具は2つずつあり、シンメトリーに配置されています。
2つの勉強机の間には扉付き本棚。中には代々先輩方が置いていって下さった
日本語の本や雑誌がぎっしり詰まっていました。
そして先輩からの手紙・・・・。
『楽しい事、辛い事、色々待ち受けているかと思いますが、いい経験になることを
確信している。これから1年間頑張って下さい。』などといった内容のもの。
他にも細かなアドバイスを含んだ この激励のメッセージに感激したのも思い出されます。
今 振り返ってみますと、甘えられる親などが近くにおらず、あらゆる面で未熟な自分が
短い期間に本当に多くの事を学ばせていただいた貴重な経験でした。
人を傷つけ、自分も傷つき・・・色々な事があったなぁ~~~。
周りはフランス語だけの世界。(これは語学を学ぶという面では大変恵まれています。)
よって相談するにも言葉の壁で容易ではないことは想像つくと思います。
こうして先輩方も後輩方も乗り越えて来られたんだな・・・と思うと感慨深くなると同時に、
その中の一人であることを感謝の気持ちでいっぱいになります。
・・・話を戻します。
色々な思い出話を綴り出すと長くなってしまいます。。。
今日は修道院の建物や様子などを中心としたお話にしたいと思います。
私がお世話になったのは、Lycée Saint-Bernard(高校)であり、
Monastère Saint-Bernard(聖ベルナルド会の修道院)なのです。
つまり実際にシスター方が生活されていらっしゃる修道院に併設して
学校があるタイプの修道会で、ここでは高校と幼稚園
そしてdomitoire(ドミトワール・学生宿舎)がありました。
*現在は、修道女の高齢化により残念ながら閉鎖されてしまいました。(ノ_-。)
中庭から見たLycée Saint-Bernard(高校)です。右側に垂直につながっているところが
修道院。ちなみに一番目の写真は、Lycéeを正面から見た様子。
そしてこちらは↓domitoire(学生宿舎)。
↓domitoire(学生宿舎)を中庭から見た様子。幼稚園児が遊んでいます。
2番目の写真にあります建物の反対側↓
茶色矢印(ちょっと線が細かったかな?)がしてある窓が私達・日本人留学生の部屋でした。
ドア一枚で学校へ行けてしまうという感じです。幸せ・・・♡
そしてこちら↓が、その部屋。窓辺に机があります。う”っ 散らかっているぅ~( ̄_ ̄ i)
気持ちの良いそよ風が吹き込んできて、随分癒されました。
上の窓から外を見ると、↓このような景色が見えます。Cambraiの町並み(住宅街)です。
茶色矢印(3つ上の写真)の窓から外を見た景色がこちら↓。幼稚園が見えます。
こちら↓2枚目の写真で修道院部分を紹介しましたが、その延長。
右側に見えるのが洗濯室。学校~修道院~洗濯室と『コの字』の建物になっています。
ちょっとシスター方の姿が見えますね。作業される時はこのように白いエプロンをお召しになります。
なんだか爽やかでしょ?
こちら↓が、初めて学んだフランス語の教科書。
高校(日本)のフランス語授業から使っており、引き続きフランスでも使っていました。
Mauger(モジェ)氏著のフランス語の教科書で、青と赤の2種類ありました。
なので、通称 Mauger Bleu(モジェ ブル)とMauger Rouge(モジェ ルージュ)と
呼んでいました。 懐かしい記念すべき教科書・・・今でも大切に保管してあります。
こちら↓がCambraiの地図。
Cambraiは、【Bêtises de Cambrai(ベティーズ・ドゥ・カンブレ)】が有名です。
ミント味のbonbon(ボンボン・飴)。bêtiseのいうのは『失敗』を意味するのですが、
昔 お菓子作りをしていて失敗作品がこの飴だったそうです。
失敗からの産物なのですが、今や フランス人の間では大変有名な飴の一つです。
母親のように接して下さった大好きなシスターの皆さま。
ぜひご紹介したいと思います。
エピソードは数え切れないほどあるのですが、長くなってしまうので・・・今日はこれで。
また今度(*^o^*)/
by kyokoko_a
| 2008-09-24 12:30
| フランスの思い出